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BC072『ふつうの相談』

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今回は東畑開人さんの 『ふつうの相談』を紹介しました。倉下の考え方に大きな影響を与えてくれた一冊です。

書誌情報

* 著者

* 東畑開人

* 1983年東京生まれ。専門は、臨床心理学・精神分析・医療人類学

* 博士(教育学)・臨床心理士

* 『心はどこへ消えた』『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』『聞く技術 聞いてもらう技術』など著作多数

* 出版社

* 金剛出版

* 出版日

* 2023/8/16

基本的に、ケアの現場で働く人向けの内容であり、それも少し硬めの構成になっています。著者の一般向けの著作(『心はどこへ消えた』や『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』)に比べると、少しだけ対象読者は絞られています。それでも、難解な理論展開などはなく、理路も明晰なので、じっくり読んでいけば著者の主張は十分理解できるでしょう。

また本書では、「専門的な知」と「一般的な私たちの生活」をどう接続するのかという大きな枠組みが提示されており、「知」の在りようについて興味を持っている人にも面白く読める一冊になっています。

読書メモ

収録前に私が作った読書メモが以下です。

ポッドキャスト本編中の私(倉下)の話があまりうまくまとまっていなかったので、ここで少しだけ整理しておきます。

まず、心のケアに関する学問というのがある。それは大きく学派的心理療法論と、現場的心理療法論の二つに分かれる。前者が理念的で体系的なもので、後者が実践的でやや雑多さを含むものである。この二つは、二つの極に配置されて整理されることが多い。学派的心理療法論を一番の右端とし、現場的心理療法論を左端として、左に行くほど「純粋さが薄れていく」という考え方がそれに当たる。これは冶金スキームと呼ばれる。純粋な金属が、合金に変わっていくプロセスがイメージされている形だ。

この見方が、心理療法論の分野では一般的だったらしいが著者はそれに疑問を投げ掛ける。はたしてこれで十分だろうか、と。

臨床の現場で働く著者は、現場にさまざまに存在している「ふつうの相談」を目撃し、その有用性を実感している。著者自身も、専門である精神分析ではない〈ふつうの相談〉を行う割合の方が多いらしい。そして、世の中に目を向ければ、そうした「ふつうの相談」は山ほどあふれ返っているし、そこで何らかの効果を上げている。冶金スキームは、そうした状況をうまく汲み取れていないのではないか。

冶金スキームでは、専門性が高く純化された知の体系が至上とされ、それに劣る形で現場的な実践が位置づけられる。「ふつうの相談」はその最極端に置かれるか、むしろその外側に配置されて見えなくなってしまう。それは、臨床の現場から見ればあまりに不自然な構図であろう。

よって、著者はその見方をひっくり返す新しい枠組みを提出する。それが精練スキームだ(本編中で倉下は”れんせい”と言っているが、”せいれん”の間違い)。

冶金スキームでは、精神分析などの学派的心理療法論が起点となり、その純粋性が落とされる形で現場的な適用は位置づけられる。しかし、精練スキームにおいて起点になるのはふつうの相談だ。私たちが日常的に行っているふつうの相談。それが原初のケアとして位置づけられる(これがふつうの相談0と呼ばれる)。

このふつうの相談0という雑多な(あるいは総合的な)ものの一部をどんどん精練していき、純化させたものが学派的心理療法論だと位置づけるのが精練スキームの主要な特徴である。

ここでのポイントは、私たちは特定の学派的心理療法論ができる前からお互いにケアし合っていた、という点である。私たちは日常的に相談し、多くの問題を解決してきた。民藝ならぬ、民ケアがごく一般的に存在してきたし、それは今でも存在している。日本中、世界中にあるふつうの相談が、人間の心のケアを行っているのである。

もちろん、そうしたふつうの相談では十分に対処できない問題というのはある。そうしたときに活躍するのが学派的心理療法論などの専門セクターであり、あるいは民芸セクターである。よって、これらの分野は別段対立するものではなく、担っている役割が違っているだけだ。

本書の土俵の大きさはここにあるだろう。本編中では私が十分に言及できなかったが、本書は「ふつうの相談こそが一番偉いのだ」ということを言いたいわけではない。学派的心理療法論の頂点をひっくり返す、というような革命的な視点ではなく、「ふつうの相談」というより広く大きいものを巻き込むことで、さまざまな分野の「知」の在りようを統合しようという試みなのだ。

「ふつうの相談」というものがさまざまな学派的心理療法論の起点になっているとすれば、各種の学派的心理療法論が断絶していたとしても(理論が持つ理念性を考えると断絶は必然的に生じる)、「ふつうの相談」を巻き込むことで、それらの根っこが見出されることになり、より包括的な"地図"が描かれることになる。それは、その分野の探索をより現実的なものにしていくだろう。

ある意味で、そうした在りようはごく「ふつう」のことかのかもしれない。実践の現場にいれば、そういう統合は自然と行われるだろう。一方で、「専門家」というのは、知のタコツボに嵌まりがちであるし、それに引きずられるように師事するたちも視野が狭まっていく。

その点は、私が興味を持つノウハウの分野でもまったく同じだ。何かしらの方法論を提示する人は、それ以外のやり方をまったく認めないところがある。それは理論家としては必要な姿勢だろうが、実践のレベルではさすがに視野が狭すぎる。だからこそ、「理論ではこうなっているけども、実際はこういう形で」という運用が、卑下を伴わない形で行われることが望ましいと言える。それは何かを合金しているのではない。むしろ、理論が純化を押し進めているに過ぎないのだ、と。

もちろん、「ふつうの相談」だって、普通さがすれ違うところではうまくいかないことが多い。だから、「ふつうの相談」を特権的に扱ってしまえば、やっぱり不都合は起きる。その意味で、さまざま知の在りようを統合的に見るということは、何かを特権的に見るのではなく、それぞれの知の役割を見据えることで、その「処方」を適切に行えるようにする、ということだろう。

本書は最後に「臨床学」という大きな枠組みを提示しているが、それと同じように私が興味関心を持っている分野もノウハウというのではなく「実践学」という大きな枠組みで整理できるのではないか、などと考えるに至った次第だ。

……というような話を本編で展開しようと思っていたのですが、たぶんそんなにスムーズにはできていません。ちょっと読書会をやってみてもいいかもしれませんね。

編集後記(ごりゅご)

今回から編集ツールをLogic Proに変えてみています。(実験中)

なんとなく、前より聞きやすくなるようにできたかな、と思うんですがどうでしょうかね?


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* 博士(教育学)・臨床心理士

* 『心はどこへ消えた』『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』『聞く技術 聞いてもらう技術』など著作多数

* 出版社

* 金剛出版

* 出版日

* 2023/8/16

基本的に、ケアの現場で働く人向けの内容であり、それも少し硬めの構成になっています。著者の一般向けの著作(『心はどこへ消えた』や『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』)に比べると、少しだけ対象読者は絞られています。それでも、難解な理論展開などはなく、理路も明晰なので、じっくり読んでいけば著者の主張は十分理解できるでしょう。

また本書では、「専門的な知」と「一般的な私たちの生活」をどう接続するのかという大きな枠組みが提示されており、「知」の在りようについて興味を持っている人にも面白く読める一冊になっています。

読書メモ

収録前に私が作った読書メモが以下です。

ポッドキャスト本編中の私(倉下)の話があまりうまくまとまっていなかったので、ここで少しだけ整理しておきます。

まず、心のケアに関する学問というのがある。それは大きく学派的心理療法論と、現場的心理療法論の二つに分かれる。前者が理念的で体系的なもので、後者が実践的でやや雑多さを含むものである。この二つは、二つの極に配置されて整理されることが多い。学派的心理療法論を一番の右端とし、現場的心理療法論を左端として、左に行くほど「純粋さが薄れていく」という考え方がそれに当たる。これは冶金スキームと呼ばれる。純粋な金属が、合金に変わっていくプロセスがイメージされている形だ。

この見方が、心理療法論の分野では一般的だったらしいが著者はそれに疑問を投げ掛ける。はたしてこれで十分だろうか、と。

臨床の現場で働く著者は、現場にさまざまに存在している「ふつうの相談」を目撃し、その有用性を実感している。著者自身も、専門である精神分析ではない〈ふつうの相談〉を行う割合の方が多いらしい。そして、世の中に目を向ければ、そうした「ふつうの相談」は山ほどあふれ返っているし、そこで何らかの効果を上げている。冶金スキームは、そうした状況をうまく汲み取れていないのではないか。

冶金スキームでは、専門性が高く純化された知の体系が至上とされ、それに劣る形で現場的な実践が位置づけられる。「ふつうの相談」はその最極端に置かれるか、むしろその外側に配置されて見えなくなってしまう。それは、臨床の現場から見ればあまりに不自然な構図であろう。

よって、著者はその見方をひっくり返す新しい枠組みを提出する。それが精練スキームだ(本編中で倉下は”れんせい”と言っているが、”せいれん”の間違い)。

冶金スキームでは、精神分析などの学派的心理療法論が起点となり、その純粋性が落とされる形で現場的な適用は位置づけられる。しかし、精練スキームにおいて起点になるのはふつうの相談だ。私たちが日常的に行っているふつうの相談。それが原初のケアとして位置づけられる(これがふつうの相談0と呼ばれる)。

このふつうの相談0という雑多な(あるいは総合的な)ものの一部をどんどん精練していき、純化させたものが学派的心理療法論だと位置づけるのが精練スキームの主要な特徴である。

ここでのポイントは、私たちは特定の学派的心理療法論ができる前からお互いにケアし合っていた、という点である。私たちは日常的に相談し、多くの問題を解決してきた。民藝ならぬ、民ケアがごく一般的に存在してきたし、それは今でも存在している。日本中、世界中にあるふつうの相談が、人間の心のケアを行っているのである。

もちろん、そうしたふつうの相談では十分に対処できない問題というのはある。そうしたときに活躍するのが学派的心理療法論などの専門セクターであり、あるいは民芸セクターである。よって、これらの分野は別段対立するものではなく、担っている役割が違っているだけだ。

本書の土俵の大きさはここにあるだろう。本編中では私が十分に言及できなかったが、本書は「ふつうの相談こそが一番偉いのだ」ということを言いたいわけではない。学派的心理療法論の頂点をひっくり返す、というような革命的な視点ではなく、「ふつうの相談」というより広く大きいものを巻き込むことで、さまざまな分野の「知」の在りようを統合しようという試みなのだ。

「ふつうの相談」というものがさまざまな学派的心理療法論の起点になっているとすれば、各種の学派的心理療法論が断絶していたとしても(理論が持つ理念性を考えると断絶は必然的に生じる)、「ふつうの相談」を巻き込むことで、それらの根っこが見出されることになり、より包括的な"地図"が描かれることになる。それは、その分野の探索をより現実的なものにしていくだろう。

ある意味で、そうした在りようはごく「ふつう」のことかのかもしれない。実践の現場にいれば、そういう統合は自然と行われるだろう。一方で、「専門家」というのは、知のタコツボに嵌まりがちであるし、それに引きずられるように師事するたちも視野が狭まっていく。

その点は、私が興味を持つノウハウの分野でもまったく同じだ。何かしらの方法論を提示する人は、それ以外のやり方をまったく認めないところがある。それは理論家としては必要な姿勢だろうが、実践のレベルではさすがに視野が狭すぎる。だからこそ、「理論ではこうなっているけども、実際はこういう形で」という運用が、卑下を伴わない形で行われることが望ましいと言える。それは何かを合金しているのではない。むしろ、理論が純化を押し進めているに過ぎないのだ、と。

もちろん、「ふつうの相談」だって、普通さがすれ違うところではうまくいかないことが多い。だから、「ふつうの相談」を特権的に扱ってしまえば、やっぱり不都合は起きる。その意味で、さまざま知の在りようを統合的に見るということは、何かを特権的に見るのではなく、それぞれの知の役割を見据えることで、その「処方」を適切に行えるようにする、ということだろう。

本書は最後に「臨床学」という大きな枠組みを提示しているが、それと同じように私が興味関心を持っている分野もノウハウというのではなく「実践学」という大きな枠組みで整理できるのではないか、などと考えるに至った次第だ。

……というような話を本編で展開しようと思っていたのですが、たぶんそんなにスムーズにはできていません。ちょっと読書会をやってみてもいいかもしれませんね。

編集後記(ごりゅご)

今回から編集ツールをLogic Proに変えてみています。(実験中)

なんとなく、前より聞きやすくなるようにできたかな、と思うんですがどうでしょうかね?


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